ミルキーブルーの空

わたしの中での深澤辰哉のイメージは『不思議な人』です。

わたしがふっかを好きになったのは所謂ステマがきっかけです。DVDを買い集めたり画像を集めたり深澤担の人のツイートを覗いたり、時にはコンサートや舞台で実際に見たり聞いたりして、少しずつ深澤辰哉という人の情報をインプットしていきました。
そんなわたしにとってふっかは、掴みどころがない、けれどなぜか惹かれる。そんな人です。

わたしは、『深澤辰哉』を『ふかさわたつや』と読みます。本人がふかざわだと主張しても、雑誌にふかざわと記載されても、わたしはふかさわと呼びます。そのほうが、彼に似合っていると思うからです。
濁点がなくて、ふではじまってわで終わって、『ふわふわ』と少しだけ似ている、ふかさわという苗字。力強くて、男らしい、たつやという名前。彼にぴったりだと思います。


ふっかの好きなところ。

ふわふわ、そんな言葉が似合う笑顔。やさしく細めた目の奥では、きっと全てわかっていて。わかっていても、善も悪も全て包みこんでくれそうな包容力。わたしはいつも、彼の笑顔をみるたびに、なんともいえない安心感を感じます。それは彼の人柄によるものなのか、それとも独特の空気感によるものなのかわからないけれど、あんな風にやさしく笑える人はとても素敵だなぁと思います。

程よい適当さ。これもふわふわとした空気感をつくる原因なのかもしれません。失敗も悩みごとも全部ぜんぶ、笑って流してくれそうなイメージがあります。ふっかに相談する人はきっと、本当は答えなんてわかっていて。わかっていても、それでも誰かに話したい時にふっかに相談するんじゃないかなという勝手な想像。聞いているのかいないのかわからないような相槌を打って、おいしいものを一緒に食べて。けれどちゃんと、求めていた言葉はくれる人。ふっかには、ただそこにいるだけで人を落ち着かせるような何かがあると思います。誰かがふっかは人をダメにする優しさの持ち主だと言っていたけれど、まさにそんなイメージです。

言葉の選び方と発し方。たぶん抜群に国語がうまいだとか、語彙力があるだとか、そういうのとはまた違ったものだと思います。中にはきっと、あのちょっと落ち着いたテンションと甘い声だからこその発言もあると思うけれど、彼の気負いしない・させない優しさを感じることが多いです。多くの言葉を与えるタイプではないけれど、サラッと発した一言の何気ないやさしさがじわりじわりと広がっていくような感覚。なにも考えていないように見えて重すぎるくらいの意味があって、優しいんだけれど有無を言わせないような力があって。たまにドキッとするほど真っ直ぐな言葉を発するから、いつだって油断できないし目が離せない。

人を甘やかすのがうまそうなところ。甘えるのが得意じゃない人とか、甘えたくないと思っているような人を自然と甘やかすのがうまいイメージ。これは先で挙げた言葉のチョイスの話とも関わってくると思うけれど、甘やかしてるつもりはなくたってでろんでろんに甘やかしていて、きっとみんなそんなふっかにいつの間にか甘えている。包み込まれたことに気付かないほど居心地が良いんだろうなぁと思います。ふっかの包容力を感じるたび、この人は男女問わずモテるのだろうなーと思っています。



わたしは、深澤辰哉という人がどんな人なのか考えるのが好きです。そして、その疑問はいつも『わからない』に辿りつきます。抽象的なイメージは浮かんでも、どんな人?と訊ねられると思考が停止してしまう。
そもそも人間について考えるというのはとてもむずかしいことで、その人がどんな人なのかなんて結局本人にしかわからない。否、本人だってわからない場合だってある。ましてやアイドルは与えられた情報を必死に受け取ってひたすらに噛み砕くしかないから、もっとわかりにくい。それでもわたしは、『アイドル・深澤辰哉』について考える時間が好きです。

とても温かい人に見えて、実はとても冷たい人なんじゃないか。冷たい人に見えるけれど、本当は温かい人なんじゃないか。いろいろなイメージが混ざり合って、やがてなにも考えられなくなる。

不思議な人だし、掴みどころがない人だけれど、なんだか気になって仕方ないし、わからないとわかっていても彼について考えたいし、少しでも情報をインプットして『深澤辰哉』という人のイメージを集めていきたい。

つまり、これも好きの1つのかたちなのだと思います。
きっとこれからも、深澤辰哉という人のイメージをしっかりと持つことが出来る日まで、わたしは彼について考え続けるのです。